映画 "夢は牛のお医者さん" 2014/5/12
2014/5/12に 横浜市で表題の映画を見ました。 楽しい映画ですが、分厚いハンカチを要します。
小学生半ばで 獣医になると決断し、その通り実行するのを見るだけでも感動ものです。 結婚して
二人の子を育てながら新潟県内の (たぶん牛を主とした) 家畜の面倒を見ることを知るとさらに感激します。
私が獣医と知り合うようになって、いろいろな野鳥の世話をしてきました。 このことが本映画を鑑賞する
きっかけです。 現在私の手元に残っている野鳥は 16歳 (たぶん) のムクドリだけです。
報道記者として取り組み始め、ついに映画監督として上映にこぎつけた時田 美昭氏の文:
出会い:
報道記者だった私と知美さんとの出会いは、昭和62年。「クラスメート」として3頭の牛が「入学」した
小学校の取材でした。素朴な木造校舎に懐かしさを覚え、それ以上に「素朴・ピュア」な9人の児童。
たちまちフアンになりました。 そして迎えた「牛の卒業式」。これまで生きてきて、あんなに綺麗な涙を
見たことがありません。なぜこんなに純粋な子供が育っのか? 土地柄なのか ?家族なのか?
もっと知りたくなりました。しかし、当時聞かされていたのは、数年後には廃校になるかも知れない事…。
ならば、廃校まで密着していこう! ローカルニュースの継続企画になりました。 当初は「素朴な学校、
ピュアな児童」が取材対象で、特に知美さんにだけ焦点をあてることはありませんでした。
知美さんの「夢」は知っていました。 「牛のお医者さんになりたい」。 でも、獣医になるにはいい大学を
出ないといけない訳で、単純に「子供の夢だなあ」と記憶の片隅に忘れて、廃校後の4年間は
会っていませんでした。
それから:
ある日、知美さんの家に電話してみると、「下宿して遠い高校に通っている」 とのこと。 親元を離れて
猛勉強している。 「高校3年間、テレビは見ない」 と言う。 過去に聞いた彼女の「夢」を本気で受け止めず
スルーしていたテレビマンとしての自分が恥ずかしかった。 それからの私の夢は 「彼女の夢に密着し、
見届けること。」 知美さんからのお願いはただ一つ 「大学に落ちたら放送しないでね…。」 大学受験、
そして獣医の国家試験の経過を取材したばかりの春に「ズームイン!!SUPER」で放送した時には、
16年の歳月が流れていました。「夢に向かう彼女のひたむきな姿は、自分にも頑張る勇気をくれた」、
「もう一度見たい」、「学校で子どもたちに見せたい」など、驚くほどの反響がありました。 夢には続きが
ありました。ならば私も、もうすこし「夢」に付き合わせていただきたい。そして、観客のみなさまにも是非、
付き合っていただきたい。 …私の新たな「夢」が ここに誕生しました。