中国訪問日記 −一家5人の呼寄せ− 2001年3月1日〜16日

                    8. 来日

3月15日にビザがおりることになりました。 しかし、有田の頭は痛み通しです。
建生のが取れるか非常に不安でした。

その間、 古屋さんが所用で 12日に帰国することになり、 ますます有田は・・・。
11日、 婆やの嫁と孫 (大学1年) が 古屋朋友の許さん (北京師範大学特聘研究員)と
共に送別会です。

古屋さん帰国の12日早朝、 有田は寧心家族宿泊所へ移動します。
古屋さんは タクシーでそのまま 北京機場へ向かいました。
事前に ホテルの副支配人と親しくなって、 こっそりと泊れるように計らってもらっていました。
しかも 中国人と同じ料金でです。 一喜さんの婚約者 王さんの力添えがありました。

有田はすぐに 日本語の特訓を 寧心一家に施します。 12、13、14日と。
ひらがな、カタカナを一から始めました。
掛け算、割り算、時刻、年齢がとりあえず 言えるようになりました。
光月との応答を お聴きください。

3月15日、 一喜さんの婚約者に連れられ 日本大使館へ行きました。
取れました 建生のビザが! 嬉しかったですね。 涙がこぼれそうに・・・。

帰国前日15日の夜、 奇峰賓館の部屋から 貨物駅の看板を 撮りました。 広安門駅です。

寧心の夫のビザが 取れなくても、寧心たちだけで 来日のつもりでした。
そのときは、 彼の航空券を捨てるつもりでした。 捨てずに済みました。
有田の頭の痛みは まだ続きます。 航空機が 飛び立つまで 続きます。

しかし、 16日の北京空港で こんなにもめるとは知る由も ありませんでした。
大きな壁を 乗り越えなければなりませんでした。

先ず、「国際予防接種証明を見せろ」 と空港内係員。
帰国前に 日本大使館、北京在住日本人、 頻繁日中往復中国人から 不要と確認していました。
寧心たちは 右往左往、 目を白黒。

有田が乗り出し、 厚生省の身元引受人証明書と 母娘家系図を見せ 押し問答。
「日本大使館も日本政府も 不要だと言った」 で押し通し、なんとか通過。英語でのやりとりでした。

次の場所で、 寧心の夫自身が 10分以上 調べられました。 私の手が及びません。
旅券を虫眼鏡で仔細に見ています。半年前の件で 湖南省からの移民を厳重に調べていたのでしょう。
本物の旅券なので 有田の心配は大したことありませんでしたが。
しかし、やきもきしましたね。 これで北京は通過。 彼と握手握手の連続でした。

成田へ向かう機内での安らかな眠り?を ご覧あれ。

予定より少し早く、 午後1時半前に成田到着。 また一悶着でした。
日本人は簡単に通関できます。 彼ら中国人は 長く並んだ後、通関の係員に 別の受付へ行ってから
戻ってくるように指示されました。 それは 在留資格認定証明書の受付カウンターでした。 寧心たちが
私を呼んだので、 近道のため通関を通ると、 「そこを通るんじゃない」 との罵声。
入国管理局の人でした。

とりあえず、 謝りました。 O主席の名を出して 彼を直接知る別の係員と話し込みました。
受付カウンターの 女性は気の毒がっていました。
「急いでいるんだし、 どこを通ればいいか有田は知らない。だから 怒られることはないよね。」

16日間 預けっぱなしだった車に乗って さあ横浜へ。 生活保護を1日でも早く受けられるよう、
有田は東関東自動車道を飛ばします。 しかし湾岸に入ると、 渋滞また渋滞、 あきらめました。
そうこうするうち、 車に乗ったことなど滅多にない石易が 吐きに吐きました。

夕刻の5時過ぎに 三保に到着。 母娘は 泣きながら抱擁。 長い長いトンネルでした。

翌17日に 記念写真を撮りました。 長女が かいがいしく 働いています。 母の 嬉しそうな顔。

翌週 月曜日の3月19日、区役所で生活保護、小学校、中学校の手続き。 疲れたびー。

区役所で午前を潰しました。 そして、 食事をする暇もなく 上大岡の日本語研修センターへ。
娘家族3人(前列) を連れて行きました。 入校式です。

しかし、 有田の肩の荷は なかなか降りそうにありません。
なにせ この写真の整理は 帰国後2ヶ月以上 経過してから始めることができたのですから。
その上 中国にはまだ 息子一家が取り残されています。

東京入国管理局のO主席 有難うございました。 感謝の念でいっぱいです。

厚生省のT室長; 神奈川県のM課長、I、Kさん; 緑区役所のS係長、Tさん;
横浜入管のSさん みんなみんな お世話になりました。
上大岡研修センターの N、F、Y、I、Tさん お世話になります。

AGさん、病院事務長Nさん、 ほんとにお世話になりました。 有難うございます。

北部児童相談所のSさん、中央児童相談所の係員さん ご苦労さまでした。
地域ケアセンターのKケアマネージャー、Kヘルパー お世話になりました。

甲府の誠さん ご支援有難うございました。
息子さんの 一喜さんには 北京で 一方ならぬ御恩を受けました。

長沙市の李玉財 ホテルとタクシーの手配をして下さり 助かりました。 ご恩に報いたいと思います。

古屋さん よくぞ中国へ連れて行ってくださいました。 感謝のしようもありません。

   1. 邵陽市 新邵県へ
   2. 長沙ロータスホテル
   3. 北京待機

   4. 天安門広場
   5. 寧心家族来京
   6. 王府井
   7. 万里長城

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